第12章 殺人をめぐる文化の違い
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殺人発生率は、国ごとに非常に大きく異なる
1980年代には、ヨーロッパの殆どの国の殺人率は、年間100万人当たり数十のオーダーであり、カナダでは25以上
アメリカ合衆国とブラジルの最近の数字は、これらの数倍
クナフト(1985)は、ニューギニアのいくつかの部族における殺人率をまとめているが、それは、年間100万人当たり5000から8000 「殺人」ではなく「戦争」による死亡も含まれているのは事実だが、それがすべてではない
この区別も実は微妙なもので、常に戦争状態であり、人が死ぬのは個別の出来事であって、被害者と加害者は顔見知り
殺人率は同じ国の中でも時間とともに劇的に変化する
1262年にアイスランドがノルウェーに征服される前には、土地の軍閥たちが血なまぐさい闘争と復讐を繰り返していた
1950年以降、アイスランドの殺人率は急上昇し、1年に1件ほどになった
ほとんどの国と比べれば人口あたりにしてずっと低い数字ではあるが、それ以前と比べれば10倍ほどになった
イギリスでも同様に、昔は現在とは比べ物にならなほど殺人率は高かった
現代のイギリス人が殺人にあう確率は、中世の頃の5%以下
犯罪学者たちは、様々な場所や季節や時間などの犯罪率の違いを比べ、他の変数との相関で説明しようとしてきた
こういった集団間の殺人率の違いの研究においてさえも、暴力に訴えようとする個人の進化心理学に注意を向けることが、何らかの新しい視点を開くかもしれない
各国における年間殺人率
この著作は社会学的犯罪学の模範的とも言える業績であり、いくつもの新しい洞察をもたらしている
そのような強みにもかかわらず、アーチャーとガードナーの分析は、暴力に訴えようとする個人の自己利益はなんであるかに注意を払っていないことが難点
犯罪学者が常に興味を持っていた疑問の一つは、戦争が犯罪率に及ぼす影響
ある人は戦争直後にはとくに暴力的であると主張し、ある人は戦争直後はとくに平和的であると主張してきた
アーチャーとガートナーは、戦争直後には殆どの場合において殺人率が上昇することを、初めて、疑問の余地なく示すことができた
彼らは説明の検討に入り、一つを除く全ての説明を排除できる理由を挙げている
たとえば、戦争直後に殺人率があがるのは、敗戦国の社会的政治的状況が混乱すること、または経済が壊滅的な状況になるからであるという説を退けている
殺人率の増加は、敗戦国だけでなく戦勝国でも同様に起こっている
戦後に経済が悪くなった国でも、良くなった国でも同様に起こっている
暴力行為が起こり、しかも、そのような暴力行為の少なくとも一部は社会的に受け入れられ、さらに称賛されるものであるということが起こると、暴力の使用に対する一般大衆の態度が、それを容認する方向に動き、暴力に訴えることの閾値が下がるという説明
「合法化」という概念は有効であるように思われるが、アーチャーとガートナーが、他のすべての説を却下したことは間違っている
「戦争を経験すると、兵士たちは、より暴力を肯定し、暴力に習熟するように再社会化される」ので「戦争から帰ってきた軍人たちの行動のせいで」、戦争を行った国では、戦後に暴力犯罪が増えるというもの
アーチャーとガートナーがこの説に反する証拠としてあげている事実は、戦後には、元軍人による暴力も元軍人によらない暴力もともに増えており、とくに、女性に寄る暴力が、男性に寄る暴力と同じ強度で増えていること
しかし、女性が殺人を犯すときには、殺す相手はたいていの場合男性であり、そのほとんどは、彼女らに危害を加えようとした男性である
そのような男性の中には元軍人が非常に多く含まれているかもしれない
アーチャーとガートナーは、「戦後の殺人の増加は元軍人の行動による」という仮説を検証したと主張しているが、被害者自身が殺人を引き起こす可能性を無視しているために、実際には、「戦前と戦後の違いは、元軍人自身が加害者である事件が増えるためである」という、もっと狭い仮説を検証している
このように、殺人の社会心理学的コンテキストを無視することは、殺人率に関する社会学的研究の多くを蝕んでいる
個体群の年齢構成が殺人に与える影響という問題は、その古典的な例である
殺人率の違いが、人工構造の違いと結びつけて論じられることがある
アーチャーとガートナーを含め多くの著者たちは「ベビーブーム」の世代が成長し、個体群中に若い男性が占める割合が増すとともに、殺人率も上昇することを指摘している 各性年齢クラスに固有の殺人率は一定であっても、もっとも殺人を犯しやすい性年齢クラスの人口割合が増えれば、全体の殺人率も変わるという議論
しかし、殺人率の増加の度合いは、しばしば、年齢構成が変化した度合いよりもずっと大きいように思われる
言い換えれば、各性年齢クラスに固有の殺人率は一定ではない
このようなことがあるため、アーチャーとガートナーは、1963年から1972年にかけてのアメリカの殺人率の増加を分析し、「この時期の殺人率の増加は、人口構造だけでは説明がつかない」と結論している
この結論の背後にある仮定は、「人口構造」が「説明」となるのは、各性年齢クラスに固有の殺人率が変化せず、すべての変化は、ある性年齢クラスが人口中に占める割合の変化に帰することができるときのみであるというもの
しかし、どのような理論から、人口構成が変化しても、各性年齢クラスに固有の殺人率は変化しないなどということが導き出されるだろうか
暴力は社会関係の産物
若い男性が個人間で暴力を振るう傾向があるのは、彼らが競争的だから
もしも、個体群中に若い男性が占める割合が増えれば、すべての男性が経験する競争のレベルがあがるのではないだろうか?
さらに、暴力に走りやすい年齢クラスの男性の割合が(たとえば)2倍になれば、単純なランダム・モデルからも、そのような男性二人を含む出会いの割合は4倍に増えることがわかる
他の年齢クラスに属する男性の数は、若い男性が自分の将来の結婚や経済的状況の可能性を認知するのに、どのような影響を与えているだろうか?
彼らのリスクを省みない暴力的な傾向にどのような影響を与えるだろうか?
文化と暴力の模倣について
「文化」は、異なる集団や歴史的時代と比べて、一つの社会の中で相対的に一様な行動に表されている
文化の違いを理解するためには、まず第一に、人々はなぜ、どのようにして仲間に従い、仲間と同じような行動をとるのかを理解せねばならないと考えられるかもしれない
この点に関する理論は非常に遅れている
殆どの社会科学者は、文化を、それ以下には還元できない「独立変数」とし、説明されるべき実体としてよりは、説明として扱っている
人々が何をするべきかの考えを、教育や、他の人々の監察から得ていることに間違いはない
アモクとは、アモクになった男性の通り道にいた不幸な人々をだれでもランダムに殺してしまうような、殺人衝動の状態を言う
最終的には、アモクになった男性は力尽きて自殺するか気絶する
アモクの男性は明らかに気が狂っており、何を話しかけても聞く耳を持たず、自動的に動いているかのようだ
もしも彼が生きてアモクの状態から覚めたときには、普通は、まったく何も覚えていないと主張する
それでもアモクは社会的構築である
大々的に報道されたアモクや非常に成功したアモクがあると、その模倣が続々と出てくる
1959年には、あるラオスの男性が、人混みの中に手榴弾を投げ込むという新しいアモクの手を発明した
アモクが文化的現象であることは確かだが、その詳細がまったく任意なものであり、他の文化にそれに匹敵するものがないというわけではなく、それは進化心理学的な分析の枠外であるということもない
自動行動と健忘症を伴うアモク暴れは、インドシナに特有のことではない 北アメリカでときどき起こる大量殺人とも、どれほど違うと言えるだろうか
およそ35歳以下の男性しかアモクにならないと報告されている
アモクを引き起こすもっともありふれた理由は、妻やガールフレンドとの不仲、面子を失ったり、賭けで金を失ったりしたこと
アモクになる若い男性のほとんどは家族から遠く離れて暮らしており、しばしば、それが家を離れた最初のとき
彼は、たいてい、何らかの失敗について恨みを抱いている
その心理は、まわり中を敵に取り囲まれた望みのない兵士が、なんとかして敵に少しでも損害を与えてやろうと決心しているときのようなものではないだろうか
彼らの考えのモードは以下のようなものだと考える
私は重要人物でも「たいした人間」でもない
私がもっているのは、自分に対する誇りだけだ
私の人生は、耐えられないほどの屈辱によって踏みにじられてしまった
それゆえ、私が失うものは自分の命だけだが、そんなものはとるにたらない。
あなたの命は大事なものだろうから、それを私の命と交換しよう。取引は私に有利に行う。
すなわち、私はあなた一人殺すのではない。たくさん殺してやる。
そして同時に、私がそのメンバーであるところの集団の目の前で、私自身を更生させるのだ。
その過程で私が殺されてしまっても構わない
証拠からすると、殺しは、耐えられない状況から抜け出す手段とみなされているようだ
殺し殺されるという、ぎりぎりのニヒルな感情に至る前には、ずいぶん考え込んでいるに違いない
しかし、どこかの時点で感情が抑えられなくなり、思考が止まって、すっかり自制が失われてしまう
「文化」を構成している、社会内部での行動と信条の一様性自体に説明が必要だと考えている少数の人々は「遵奉性」や「模倣」という概念を取り上げ、文化的要素の「伝達」に焦点を当ててきた(たとえばBoyd & Richerson, 1985) ラオスで起きた手榴弾殺人の流行は、暴力の模倣の劇的な例
しかし、「文化」のせいだというのと同様に、「模倣」のせいだといっても、説明というよりはラベルの付け替え
殺人率の変化に関して、もっとも驚くべきことの一つは、一つの国の中での年変化が非常になめらかなこと
変化は急速に起こることもあるが、不規則ではない
実際、ある社会における現在の暴力のレベルを予測しようとするとき、何よりも確実な予測をもたらすものは、その社会での最近の暴力のレベル
一つの有力な解釈は、現在の暴力のレベル自体が将来の暴力の決定要因であるというもの
もしそうなら、その因果関係の一部は、短期的な「流行」、「模倣」、「モデリング」の効果を通してであるのかもしれない
彼らはこの問題を、生態学的な妥当性の疑わしい、数々の実験室での研究によって追求してきた
最近では、社会学者のデビッド・フィリップスが、巧妙な時系列分析を使って古い考えに新しい実証的な基礎を与えている フィリップス(1983)は、ヘビー級チャンピオンのボクシングの試合があった数日後には、殺人が有意に増えると報告した
その試合があまり報道されなかったときよりも、多く報道されたときの方が有意に高かった
もっとも驚くべきことには、白人ボクサーが負けた試合のあとでは白人の殺人被害者が増え、黒人ボクサーが負けたあとでは黒人被害者の数が増えていた
これらの結果は未だに議論されている
終末や祝日には殺人がずっと多く起こるということ自体が、分析を複雑にしている
フィリップスはこのような効果を統計的な手法によって「コントロール」しているが、その仮定は十分に満たされているとはいえない
ここでの議論でもっとも興味深いのは、バロンとライス(1985a, b)が指摘した概念的真空
特定の「模倣」の心理学的理論を提出した人は誰もいない
これまでにもみたように、アメリカの殺人のほとんどは知り合い同士の社会的な葛藤に起因しており、もっとも多いのは、2人の非血縁関係の男性が地位や面子をめぐって喧嘩するというもの
フィリップスも彼の批判者もともに、たった一握りの統計データを弄り回すことにより、この社会的コンテキストを無視して、知らず識らずの内に、世にも素朴な殺人の概念を採用してしまっている
例えば、負けたボクサーの人種を観察すると、同じ人種を殺したくなるという仮定
もっと妥当だと思われる仮説も考えられる
被害者のほうが殺人を引き起こすダイナミクス
既に競争的で闘争的な心理状態になっている若い男性が、試合をしているボクサーに自分を重ね合わせ、試合を見ている時にみなが飛ばすマッチョなヤジによってますます好戦的になり、試合の分析がまだ酒場でホットな話題となっているときに起こった面子をめぐる喧嘩で、殺されてしまう確率が少しばかり多くなるというもの
この因果の連鎖を「模倣」と呼ぶのは、この言葉の意味を援用しすぎることであろう
警察による殺人は、暴力がさらなる暴力を呼ぶフィードバックがあるときには、なんでも「模倣」に違いないという仮定がまちがいであることを示す、もう一つの例
フィリップス(1983)は、警察による殺人には、犯罪的殺人におけるのと同様の模倣の効果があるはずはないという仮定から、これを彼の分析から除外した
バロンとライス(1985b)は、これに同意した上で、警察による殺人もやはり試合の後では増加することを指摘している
このことをもって彼らは、試合の影響があるように表面的に見えるのは、人工的な産物であると推論している
ここでも彼らは、殺人に関して素朴な理想主義的視点を採用している
事実はアメリカの警察が人を殺すときには、他のアメリカ人の殺人者と同様、好戦的な人物が面と向かってけんかをしかけてきたときに殺すのがもっとも多い(たとえばToch, 1969) 試合の効果を伝達する心理プロセスがなんであれ、それは警察官にも被害者にも、双方にも働き得る
頻度がもっとも変異に富むのはどんなタイプの殺人か?
殺人率に関する最初のシステマティックな分析を行ったフィンランドの犯罪学者、フェリ・フィエルコ(1951)は、二つの「法則」を発見したと主張し、それらを「動的な法則」と「静的な法則」と読んだ この二つは本当は同じものである
データを経年的に比較しようと(動的法則)、ある一時期に異なる場所で比較しようと(静的法則)、全殺人率が高いところでは、女性が加害者または被害者となる殺人の割合が低く、全体の率が低いところでは、女性の割合が高いというもの
この統計的関係は、実は「法則」でもなんでもないが、この傾向が当てはまっていることは確かに多い
フィエルコの「法則」は、実際には、殺人犯人の性、年齢、その他の性質に関して数ある同じような提案の中の二つにすぎない
全体の殺人率が高いときに少ない割合を占めている種類の殺人は、全体の率が低いときには大きな割合を占める
その傾向というのは(つねにというわけではないが)、血縁者同士の対決による殺人、子殺し、女性がかかわる殺人、精神異常者による殺人、などについていわれてきた
すべてのタイプの「フィエルコの法則」的比較が意味しているのは、本質的には同じこと
全体の殺人率よりも変動が少ないだけ
多くの混乱は、割合のデータをあたかも率(人口比率)であるかのように論じることから生じている
古典的な例は「女性を殺すことは、なぜイギリスでよりも合衆国の方で少ないか」に関する、ブリアリー(1932)のまったく的外れな分析 1920年代のイギリスにおける殺人被害者のほとんどは女性であるのに、アメリカでは5分の1にすぎないというデータに基づいている
ブリアリー自身のデータによれば、1920年代のアメリカの女性は、イギリスの女性よりも4倍も多く殺されており、アメリカの男性はイギリスの男性よりも30倍も多く殺されていた
ある種の殺人は比較的変動が少ないのならば、全殺人における、他のなんらかのタイプの殺人は変動が大きいということになる
当然それは、非血縁の男性同士の殺人であろう
先進国間および各年ごとの殺人率の中でもっとも変動が大きい要素は、第8章 男どうしの対立の論理で論じたように、不利な立場にいて、危険を顧みない、暴力的な、若い男性が起こす殺人 殺人率が高いところでは、そのような若い男性による殺人の率が高い
たとえば、犯罪学者のリチャード・ブロック(1976)は、1965年から1973年のシカゴにおける殺人犯人の人口学的データを分析した これは、シカゴの殺人率がほとんど二倍にまで増加した時期
殺人率が増えるにつれ、殺人者の中に若い黒人の男性の占める割合が極端に増加し、それほどではないが被害者に占める割合も同様に増加した
ラッシュフォースら(1977)は、クリーブランドの殺人被害者について同じような傾向を見出している 全体の殺人率が上がるに連れ、年齢別殺人率は、若い成人に鋭いピークをみせるようになった
一つのかの可能性はこれらの殺人こそが、経済的な状況やその他の、不利な立場にある若い男性が自分自身の将来の見込みを測り、危険を顧みない度合いを決めるのに使っている変数にもっとも敏感であるということ
たしかに、このもっとも変化しやすい殺人の中で非常に大きな割合を占めているのは強盗殺人
1965年から1973年の間にシカゴの殺人は二倍以上になったが、強盗殺人の率はほとんど4倍にもなり、全殺人に占める割合は、8%から19%へと増加している(Block, 1976) 若い男性の暴力がとくに変異に富むもう一つの理由は、自分の対戦相手がどんな行動をとるか個人がどう認知しているかに関係しているだろう
非血縁の若い男性がかかわる殺人の大部分はあからさまな物欲によるものではなく、もっと実質的な意味のない社会的地位や、面子に関する競争
このような危険な競争状況で、危険度を査定し、戦略を決めることは、他人が自分にどれほどの危害を加えるかという推定におおいに依存している
この推定はさらに、現在この地でどれほど暴力がはびこっているかという認知に依存している
その結果、暴力は、それを「合法化」することによってではなく、まったく非適応的な「模倣」によってでもなく、「無感覚」でも「文化的条件づけ」によってでもなく、たんに、暴力に訴えなければどれほど危険かとう認識によって暴力を生む
暴力的な状況に置かれた合理的人間は、平和的な状況に置かれた合理的人間よりもすばやく引き金をひくだろうが、文化としてしょっている物は双方同じ
暴力的なサブカルチャー
暴力の「合法化」に関連して、「暴力的なサブカルチャー」が存在するという主張がある
この概念に一理があることはたしかだが、それが説明として価値があるものかどうかは疑わしい
これらの集団間の文化的な差異は、説明のために文化が持ち出されるときと同じような行動的差異に明白に表されている
さらに、この問題は暴力行為そのものを離れて、態度や価値観を分析するだけで真の解決に至ることはできない
集団間の行動的差異の原因として、文化というものが、疑似説明ではなくて本当に有効な仮説であるためには、その仮説は、明確に表現されることはめったにないが、以下のようなものであるだろう
現在見られる二つの集団間の差異は、現時点で二つの集団に働いている外部からの力の違いによるよりは、二つの集団がたどってきた歴史の蓄積の違いによるものである
すなわち、「文化的」な差異は、それぞれの集団が一つの文化を採用し、他を採用してはいないことに、現在のところ、効用論的な理由はないという理由で、一般的に「任意」のものであると考えられている
ウォルフガングとフェラッチの「暴力的なサブカルチャー」理論が強い反論を呼び起こした理由は、文化の概念にともなう、この意味合いのせい
なぜ貧しい若者が暴力的に振る舞うのかを、その「サブカルチャー」内部での「価値観」の「伝達」で説明できると思うならば、それ以上の効用論的な説明の必要はなくなってしまうだろう
実際、将来の見込みのほとんどない貧しい若者は、彼らの社会的競争をより危険なものにしていき、暴力的になる十分な理由がある
犯罪学者たちが殺人率との間の相関を見つけようとしてきた多くの社会的変数のうちで、もっとも関連がありそうなものの一つは、収入の不平等度
とくに、殺人の国家統計の中でもっとも変動の大きい要素である非血縁男性間の殺人は、社会的競争が激化したことの現れであり、一見無意味にみえるようで、じつはもっと理にかなったことであるという見解と合致している
殺しの合法化について
われわれが、殺人率の差異を文化で「説明」することの妥当性に疑義を挟んだことは、われわれが、文化的な差異が実際に存在することやその重要性を否定しているのではない
ある社会では、他の社会でよりも人々がたやすく暴力に訴え、どのくらいの暴力を使用するのかの度合いは、すべての状況や関係に現れているようだ
ある種の殺人は、非血縁男性間の事件に比べれば比較的変動が少ないが、どの種の殺人も同時に増えたり減ったりするものである
さらに、国や時代ごとの殺人率が異なるのは、暴力に対する態度の違いと関連していることには間違いない
合衆国における殺人は他のどの先進国よりも高いが、また、他の国よりもずっと容認されている
カナダでは、正当防衛の判決は、殺人者があらゆる努力をして暴力なしに相手から離れようとしたあとでないかぎり、普通は得られないが、アメリカのほとんどの州ではそうではない(Friedland, 1984) 書かれた法律では、アメリカでも暴力が正当化せれるのは生命の危険の状況にさらされたときのみであるとしているが、実際に法律が施行されるときには随分と異なる
マイアミの殺人事件の多くが正当防衛または許容できるものとされているが、マイアミが例外なのではない
1947年から1953年までのオハイオ州のクリーブランドでは、犯人が特定されて生きていたすべての殺人事件の4分の1以上が正当防衛とされ、なんの起訴もされなかったばかりか、さらに多くが同じ理由で無罪となっている(bensing & Schroeder, 1960) このような結末に終わる殺人事件の割合は、他の先進国ではずっと少ない
トリリン(1984, 1986)とランズガード(1979)は、米国において社会的にも法律的にも許容されている殺人について、非常に豊富で洞察に富む研究 1984年にバーナード・ゲッツという男がニューヨークの地下鉄で武器を持たないティーンエイジャー4人を射殺し、そのうち2人は逃げようとしたところを後ろから撃った
ゲッツが英雄か悪者かについて大変な議論が起こったが、もっとも興味深いのは、このティーンエイジャーたちが人々に脅威を与えるような行動をしていたのか、それともただ物乞いをしていただけなのかということが、双方の争点として受け入れられていること
両方の陣営の大部分に共通している驚くべき態度は、被害者たちが十分に不埒な人間であれば正当化されるだろうと考えていること
アーチャーとガートナーによれば、アメリカ人にとって暴力とは、嘆かわしいことだが「合法的」な手段
この合法性はアメリカの文化であり、このことが豊かな国でこれほど暴力がはびこっている説明の一つとしてしばしば持ち出される
因果関係はその逆方向である可能性もあり、非常に多く見られることは、合法的にみなされるということ
刑罰を厳しくすれば、抑止効果がどれだけあるかを査定しようとすることも、同じように、因果関係の方向がよくわからないので、結果があいまいとなっている
国や時代を通じて何らかの比較を行い、刑罰が相対的に軽いところでは殺人が相対的に多いということを発見したとしても、刑罰を厳しくすれば殺人率が下がるということにはならない
もっと広く、歴史的文化的に見てみると、殺人率は刑罰の重さと正の相関があるようだ
このことは、殺人が起こることも、それを死刑で罰することも、ともに、暴力が正当化されていることの現れなのだろう(Gurr, 1981) 暴力的な時代か?
イギリスにおける殺人率はこの数世紀にわたって急降下しているのにもかかわらず、人々は、犯罪が増えてきていると嘆いている(たとえばBeattie, 1974) 歴史的に見れば、世界の殆どの場所で、国民国家における殺人率は下がってきているようであり、未だに残されている伝統部族社会からのデータを見ると、高貴な野蛮人という神話とは程遠く、国家以前の社会における状況はもっと悪かったようだ クナフト(1985)は、ニューギニアのゲブシの人々では、成人男性の死亡の35%、成人女性の死亡の29%が殺人によるものだと推定しており、アマゾンの原始農耕民の中には、全死亡の中に殺人が占める割合がこれよりも高い地域がある証拠を引用している 有名なおとなしい狩猟採集民であるクン・サンですら、もっとも暴力的なアメリカのゲットーとほとんど同じくらいの殺人率を示していた時代があった(Lee, 1979)